昭和49年12月31日 除夜祭
昭和49年もおかげの中に、もうここに終わろう、暮れようと致しております。愈々輝かしい、50年の新しい春を迎えさせて頂く訳で御座います。今年の一番有り難いお礼を申し上げねばならなかった事は、何と言うてもここ半年あまり、いわゆる合楽示現活動が取り進められて、今日に至っておる事で御座います。おかげを頂きまして合楽に御神縁を頂いて5年、10年、または20年またその上もおかげを頂いておられる御信者さん方の場合は、只々もう厚く厚くお礼を申し上げる。
以外にはないと言う方達ばっかりであるのに、もう驚くばかりで御座います。言うならば、そういう今までの御信者さん方の中には、さあこの暮れをどうして過ごそうかと云う様な方達が一人もない。そういう御届けがひとつもなかった事で御座います。お商売をなさっておられる方達も、万事に御都合お繰り合わせを頂いて、もう昨日あたりは全部、殆どがお礼に出て参られました。示現活動始ってこちら、それはない命を助けて頂き、又ない命を助けて貰わねばならん。
又はこの年がとにかくまあ、越すに越されない大変な難関にぶつかっておられて。もう日に二回も三回も、そういう方達は電話が掛かって来る、お参りをして来る。もうどうしようもないのです。そういう方達がです、もうそれこそ、いわゆる奇跡の連続と言われております、もう只々不思議と言わなければおられない。おかげを受けておられる、そういうにある信者の層というか。もう、ここで言うなら3年、5年。それ以上信心を続けておられる方達は、まあ言うならばです。
貧病争。いわゆる貧乏のない。または争いのない。又は病気のないおかげを受けておられると云う事です。もう是はねもう見渡す限りです。今合楽のあの御信者さん方の場合は。もう本当に勿体無い。もうとにかく、まあ今日のお祭りは、お礼の一年中のお礼のお祭りであると同時に、お詫びのお祭りですから。限りなくお詫びをさせて頂けば頂く程です、限りないお詫びをせねばんらん事が御座いますけれども。
又お礼を申し上げておりますと、もう切りがない程しに、おかげを頂いておる事に、只々驚くばかりで御座います。只示現活動起こってこの方。例えば示現されながら示し、神様のお働きに示し現されながら、御神縁を頂いた方達の上に、まあだ貧乏があり、病があり、争いがあるという事です。もうこれもハッキリしてます、今合楽では。しかも、そういう方達がです。もう本当に心の持ち方一つで、一週間も続いた夫婦喧嘩が、嘘の様に解決して参りましたり。
今日久留米の佐田さんの所から頂きましたお電話などは、これはあかしづくでしたかね。あかしでしたかね、の方からもうそれこそ、事業に行き詰まって、どうにも出来ない。そこからおかげを頂いて、もうそれこそ何と申しましょうかね。もう電話でもうその都度つど、只、御理解、只御教えを頼りに、杖にしておかげを頂いて。もうそのおかげの現れ方の不思議さに、それこそ、あの奇跡の連続で御座いました。
そしてもう今日、ギリギリという所で、もうとにかく、あるだけは払って行くと云う様な。それで、もう明日の正月はもう、財布の空は財布だと云う様な中にです。もうそれっこそ何ともかんとも言えん。今までどうにも売れなかった機械が、わざわざ買いに見えられたりした。しかも、思い以上の値段でそれを売れたりしたりしてですね。もうその金銭のそのお繰り合わせの、その御都合というものが、只合楽のない命が助けられておる程しの奇跡な、金銭の上にもお繰り合わせ。
又人間関係の上にもそれこそない命が助かる程しの、言うならばもう破談寸前というのも、もう破談になっておったばかりの人間関係がです、の嘘の様にすき解かれて行っておる様子というものは、只々神様が成程先頭に立って、不思議な働きを示し現して下さってあるんだと言い、また思わなければおられない程しの事で御座います。そういう方達が段々一年、二年信心を続けておられる内に、また貧病争のない、今生活に入って行かれて。また新たな示現活動が出けて行く事であろうと思います。
私は今晩のお祭りはお礼、お詫び、同時に明日の元旦祭の前夜祭の様な思いで、奉仕させて頂くのですけれども。皆さん今晩、ご参拝の時に、入り口に大きな時計が上がっておりましたですね。あれはまだ九州には一台もないそうです。九州で初めて。あの時計をお供えなさる方達が、丁度昨日まで三日間掛りました。あのクレン車で上げるんですからね、60キロからあるんですあれは。しかももう一部一厘、一秒のさあ間違いもない、その時刻を示してくれる。
しかも合楽の者だけではない、この道路を通らせて貰う、沢山な自動車に乗られておる方達が、ここを通られた方達が、まあ便利をされる事であろうと、こう思います。そういうおかげを頂き、また最近特に感じます事は、それではのうても、それこそ酒蔵立てんならん様にお神酒のお供えを頂くのに。最近は御覧の通りの、そのお酒のお供えが多い事です。とにかく毎日25本ずつも来るのですから、二日すると50本です。4日すると100本になるとです。
あそこにつういいっぱい並べて見ましたけども、200本しか並ばんのです。まだ100本ばっかり向こうに置いてある。はっはっは。もうとにかくどんなに考えてもですねそこでほうらもうばさらか酒ばっかり集まって来る。また他所にもないごたる立派な時計があそこにお供えがあったと。あの時計をお供えされる方達が大阪の方から下って見える時に、御本部に寄られて、金光様に御届けをして行かれた、あの来たと言うておられました。九州の合楽の教会に、この時計をお供えさせて頂こうとまあ思います。
そしたら金光様は大変結構でしたと言うて、お喜び頂いたと云う事で御座いますが。ただあの、金光様が喜んで頂いて、私共も只々、それで喜んでおるというだけでは出来ない。とにかく、必要以上の物が沢山集まって来る。必要以上の物が、本当に目を見張る様に出来て来ると云う事がです。そこに、私は深い深い御神慮を思わずにはおられません。例えば、お神酒がこうやって、弥が上に集まって来ると云う様な事はです、もういよいよ、よりいよいよ有り難うなって行けよと云う事だと思うのです。
私はあぁいう時計のお供えを頂いてです。愈々正確な愈々間違いのない信心になって行けよと云う事だと思うのです。ですから私だけではない、皆さん信奉者の皆さんがです。愈々有り難うならせて頂く為に、または正確無比の信心に神習わせて頂く、言うなら間違いのない信心。言うならば、正確な信心。そういう信心を愈々、来年こそは身に付けて行かなければならない、又は付けてくれよという神様の願いを、そのお供えの中から感じ取らせて頂くので御座います。
どうぞ、どう云う様な信心をさせて貰えば、いよいよ有り難うなるか。その為には、先ずは私共がです。一つ間違いのない正確な。いわゆる実意丁寧神信心がです、いよいよなさらなければならない。いよいよ求められて行かなければならない。昨日竹内先生達が御夫妻で、奥さんがお礼参拝に出て見えられましてから、あのお花のいわゆる献花をなさいます。それで随分遅うまで、夕べは掛られました。でその間事務所であの天。最近ここから出ております、御本の天地日月の心という御本を読まれた。
そして終わられてから、そこで一服こう差し上げた訳で御座いますけれども。本当にこういう信心をさせて頂けば、こういうおかげが、こういう徳が受けられると云う事をです。これ程にスッキリと、ハッキリと、教えて頂いておる御本は、もう又とないでしょうと。これこそが合楽の信心だ。けれども先生、この本は随分、あっちこっちに当たり障りがありゃしませんでしょうかと云う事で御座いました。それは言い憎い事もハッキリ、教えられない所も、ハッキリ教えてあるからで御座います。
いわゆるその本に、天地日月の心とあります様に。愈々持って、天地日月の心とはという信心。天地日月の心になる事肝要と仰せられるので御座いますから。その一番肝要な所に一つ愈々焦点を置いて。愈々有り難い、愈々正確な信心をさせて頂いて、御神慮に添い奉らなければならないという風に、思うので御座います。愈々今晩一夜開ければもうお正月で御座います。
どうぞ明日はまた元旦祭にまた新たな気持ちで、今晩私が申しました様な事を今晩じっくり考えて。私の立場、私の所私の信心の程度の所で、どう飛躍して行くかと。そこん所を一つ、愈々極めて行かなければいけない。お互いの信心をです、ここん所をもう一押しと、例えばいう所をね頂きますと、それが完璧なものになって行くんです。いや完璧なものを目指して行く訳なんです。先日も丁度土居の共励会の前日。それから土居の共励会の朝で御座いましたけれどもね。
あはぁこれは、今日の土居の共励会で、これお話の中心にならなければいけないなと思うておりましたけれども。それを頂いた肝心要の末永先生が行っとりませんでしたから、そういう話にならなかったのだろうと思うんですけれども。例えばこう云う様な、あのお夢を皆さんが頂いておられます。熊谷さんが頂いておられるのがね、熊谷さんとこの久富正義さんが。そしてその人間ぐらい大きな犬がね、山高帽を被って一緒について来るというお夢じゃったそうです。
犬と言やあ、まあ煩悩と云う事でしょう。欲悪煩悩と。人間に欲悪煩悩が御座います。けれどもね、それがややもすると、人間だからこのくらいな事はと言うて、それこそ犬がシャシャと人間の帽子被って付いて来る様な事にならんとも限らない。この事を熊谷さん頂かれて、もう本当にもう、神様その親先生その通りですと。危ない所でおかげを落す所でしたと言うて、熊谷さん御届けがあっとります。
ですから気付かせて頂いて、初めて分かる所。それから善導寺の原さんが頂いておられますのが。山登りをして、山でわらび取りをしておる。それが合楽の御信者さんがいっぱいで、わらび取りをしておるのに、その正義さんが一番先にとても、もうどんどん、どんどん取って行きなさる。もうそれけん、後からの者は誰ん取られんていう所じゃった。後ろから行きよる者は、取った後ば。ところが正義さんが取ってあるわらびは、立派なわらびもあるけれども、こうもう葉が開いたつのやら。
もうあんまり、急いでから根から引っこいで取って御座ったり。もう固い所も、柔い所もない。もうそれこそこうするしこ、あの取って御座るという。私だん正義さんの後から行くなら、いっちょん取られんと言いよる、そのお夢であったと言うのです。これなんかも、例えば正義先生辺りが、もうここに一押しの信心が出けられたら、それこそ、まあ言うなら、こういう信心を真の信心と言うのであろうか、完璧という信心に近い信心だという風に、私はその時感じました。
どれにでも正義さんが出ておられると云う事に、ははぁ土居の共励会を中心に、そういう所を共励なさらなければいけんのだという風に思ったんです。それはどう云う様な事かと言うとね。次に矢張り頂いておられるのが、末永先生が頂いておられました。それは合楽の方達が皆、魚を釣りに行ってる。所がいくらその竿をこうしとっても、釣れない訳です。それでもう皆帰ろう、帰ろうと言うてその、皆が帰り出しとる所へ。
正義先生だけが、まぁ辛抱と言うてから、釣り竿を立てられた途端に、こんなに大きな鯛を釣り上げられたと言うのです。だから合楽の方達の場合は、もう一押しの所が足りんのじゃないだろうかと。正義先生が一押しした所に、大きな鯛を釣ったと云う事。それは、先生が今おかげを受けておる状態であろうと、こう思いました。所がこれはね。言うなら本当にその正義さんは、金光様の御信心をなさるげなが。どこかが違うと思いよったらと。矢張り人物が皆に認められるというか。
人徳を受けて行くタイプの方です。ですからそのおかげは頂いて行くけれども、なら今の正義さんのいき方では是はそのいくらおかげを受けて、どれだけの財産が出けても、それは子に孫に伝わって行く様なものには、ならないと云う事おかげですから。それは伝わって行くかも解りません。けれども内容のない伝わり方になるのです。いや伝わったものはかえって困った結果になる様な事になるかも分からんのです。
または子の代に、孫の代に、本当に親父様の時にはああじゃったけれどもと言うて、無くなるかも分からんのです。それは徳という裏付けがないからです。ですから例えばその、原さんが頂いておられる、わらび取りの所でもそうです。只もうとにかく、人事の限りというか、人間心の限りというか。言うなら努力の限り、人がもう辛抱が出けんと言う所を辛抱して頂いておるおかげだからなのです。だから一生懸命取る訳です。
ただ、その中にはひっかいだつもありゃあ、葉の付いたわらびもある。いわゆる持って帰って、実際にこうやって選ってみると、食べられるとは、ほんなわずかだったと云う様なものを集めておるに過ぎないのです。ですから、そういう例えば、なら在り方の方がです。人間的には立派な、人徳を受けて行くものを持っておるのですから。これが一度、神様の方へ向けられた時にです。神様の御信用がいよいよ付いた時にです。
私はその頂く物が、徳の裏付けと。いわゆる子供にも残りゃ、孫にも残ると云った様なおかげにもなって来ると思うのです。誰よりも一押しの辛抱が出ける。誰よりも人間が立派である。それだけで、例えば人徳は付く、おかげは頂いても。そのおかげは、鯛を釣り上げる様なものである。釣り上げるならば、先ずは先に一つの徳のおかげを釣り上げなければならない。ここではお徳を鯉と言われるが、鯉を釣り上げる。
その鯉に言うなら鯛が付いて来る。おかげが付いて来ると云った様なおかげ。これなんかは例えば正義さんの場合なんかは、もう本当に一押しこうちょっと心を替えさえすれば、向きを替えさえすればお徳の受けられる内容を持ってるんですから。もうそれは素晴らしい事だと思うのです。そう云う様に銘々がです。これは三つながらそのその前のちょうど26日の土居の共励会の前の日とその朝、続けて頂いたお夢で御座います。
熊谷さんそして原さん、そして末永先生。だからこれは、なら正義先生と言わずにです。お互いの信心の上にもここんところを、もう一段取り進めて参らせて頂きましたらです。そこに垢抜けした信心と同時に垢抜けしたおかげ。言うなら信心が楽しゅう、愈々有り難いものになって来る。そういう信心をです、私は銘々の所で極めて行きたい。来年という来年は愈々より正確な信心。
同時により例えばなら正義先生が話を言うと、もう人間的には、もう実に正確なんです。だから神様の方へ向かって正確になって来た時に、神徳人徳がかね揃えての頂き方が出ける訳なんです。そういう、例えばおかげをね、めいめいのところでいよいよより有り難いものを神様が求めて御座る、より正確なものを求めて御座る。そこに神の声を聞かせて頂く思いが致します。そこに一つ焦点を置いて。
だから今晩ここん所はジックリ、一つ心の中に練らせて頂いて。来年こそはここのところの半面、ここの欠けておる所をと気付かせて頂く。そこに焦点を置いて、いよいよ合楽示現活動に参画させてもろうて。神人共々に栄えて行く道に進ませて頂かなければならんと思うので御座います。どうぞ一つあの時計を御覧になる度に。皆さんの信心の正確度をあの時計に合わせて行く様な心持ちで、信心を進めて行って頂きたいと思います。
有難う御座いました。